以前のように「楽しい」と感じられなくなった時:病気による心の変化と、心地よさを見つける体験談
以前のように「楽しい」と感じられなくなった時:病気による心の変化と、心地よさを見つける体験談
病気によるストレスや不安を抱えながら日々を過ごしていらっしゃる皆様へ。
このサイトを訪れてくださったということは、もしかすると今、心に大きな負担を感じていらっしゃるのかもしれません。病気と向き合う道のりは、身体的な辛さだけでなく、精神的な変化も伴うことがあります。私自身も、病気が判明してからの日々の中で、以前は当たり前のように感じていた「喜び」や「楽しさ」が、なぜか色褪せて感じられるようになった時期がありました。その経験が、もし今同じような感覚に悩んでいる方の、ほんの少しでも力になればと思い、私の体験をお話しさせていただきます。
病気判明と直後の感情:喜びの色を失った日々
病気が判明した時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。頭が真っ白になり、これからの人生はどうなるのだろうかという漠然とした不安に押しつぶされそうでした。診断を受けた後、治療が始まり、体調は以前とは比べ物にならないほど不安定になりました。身体の痛みや倦怠感、そして先の見えない治療への不安が、常に心の中にありました。
そんな中で私が特に辛く感じたのは、以前なら心から楽しめていたはずのことが、何も響かなくなってしまったことでした。好きだった音楽を聴いても心が動かない。美味しいものを食べても味気なく感じる。友人とのたわいのない会話も、どこか遠い世界のことのように聞こえる。それまでは、小さな楽しみを見つけることで日々のストレスを乗り越えていたはずなのに、その「楽しみ」そのものが失われてしまったかのような感覚でした。
具体的なストレスとその向き合い方:無力感と焦りの中で
この「楽しい」と感じられなくなった状態は、私にとって新たな、そして非常に大きなストレスとなりました。
まず感じたのは、深い無力感です。病気によって身体が思うように動かないことや、治療の副作用に耐える辛さだけでなく、自分の心が、感情が、まるで機能不全を起こしたかのように感じられました。「私はもう、何も感じられなくなってしまったのだろうか」という恐れが募りました。
次に、焦りです。周囲の人々は、当たり前のように笑ったり、感動したりしているように見えました。以前の私もそうだったはずなのに、今の自分にはそれができない。その差に、強い孤独感と疎外感を覚えました。「早く元の自分に戻らなければ」「無理にでも楽しいと思わなければ」と自分を追い詰めた時期もありました。
例えば、友人に誘われて食事に行っても、会話についていくのが精一杯で、味もほとんど分かりませんでした。後で「美味しかったね」と言われても、心からそう思えなかった自分に自己嫌悪を感じ、次第に誘いを断るようにもなりました。趣味だった読書も、文字を追うことはできても内容が頭に入ってこず、ページをめくる手が止まってしまいました。無理に楽しもうとすればするほど、心の奥底に沈み込むような感覚に陥ったのです。
この状態が続くと、「自分は病気によって、感情までも失ってしまったのではないか」「このまま一生、何も感じられないのではないか」という、さらに深い不安に苛まれるようになりました。
克服・軽減の道のり:大きな「喜び」から小さな「心地よさ」へ
この辛い状況から抜け出すきっかけとなったのは、ある日、無理に「楽しい」ことをしようとするのをやめて、ただ静かに窓の外の雨の音を聞いていた時のことです。派手な感動ではなかったけれど、その音に、どこか安らぎを感じている自分がいることに気がつきました。
そこから、私は大きな「喜び」を探すのを一旦やめ、「心地よさ」や「安らぎ」といった、もっと小さな、静かな感覚に意識を向けるようになりました。
- 五感を意識する: 好きな香りのアロマを焚いて、その香りに集中する。温かい飲み物を、ゆっくりと両手で包み込み、その温かさを感じる。風が肌をなでる感覚、お気に入りの毛布の柔らかさ。以前なら気に留めなかったような、日常の中にある小さな感覚に、意識的に耳を澄ませるようにしました。それは「楽しい」とは違うけれど、確かに私に「心地よい」という感覚を与えてくれました。
- 過去の記憶を丁寧に辿る: どうしても心が動かない時は、無理に新しいことに挑戦するのではなく、過去の楽しかった出来事を丁寧に思い出す時間を持ちました。旅行の思い出、感動した映画、笑い合った友人との時間。その時感じた感情を、もう一度ゆっくりと追体験することで、心の奥底にはまだ感情が残っているのだと安心することができました。
- 誰かに話を聞いてもらう: この「何も感じられない辛さ」は、周囲に理解されにくいだろうと思い、長い間一人で抱え込んでいました。しかし、勇気を出して信頼できる人に話してみたところ、「それは辛いね」「無理に感じなくていいんだよ」と、ただ寄り添ってくれる人がいました。話を聞いてもらうことで、自分だけがおかしいのではない、この感覚は病気によるものなのだと客観視できるようになり、心の負担が少し軽くなりました。
- 「これでいい」と自分を許す: 以前の自分と今の自分を比較し、「なぜ前のようにできないのか」と責めることをやめました。病気という状況を受け入れ、「今は、こういう時期なんだ」「何も感じられなくても、生きているだけで素晴らしいことなんだ」と、自分に優しく語りかけるようにしました。完璧を目指さず、「これでいい」と自分を許すことが、心を平穏に保つ上で非常に重要だと気づきました。
これらの試みは、すぐに劇的な変化をもたらしたわけではありません。心が動かない日も、無力感に襲われる日もありました。しかし、小さな「心地よさ」を見つける練習を続けることで、徐々に心の奥底にあった感情が、ほんの少しずつ息を吹き返していくのを感じました。
現在と読者へのメッセージ:小さな光を大切に
現在、私はまだ完全に病気と無縁になったわけではありませんが、以前のように「楽しい」という感覚が全く分からなくなった、という状態からは抜け出すことができました。大きな「喜び」を常に感じられるわけではありませんが、日々の小さな「心地よさ」や「安らぎ」を大切にすることで、心の平穏を保つことができるようになりました。雨音に耳を傾けたり、温かいお茶を飲んだり、柔らかい日差しを感じたり。そういった日常の中にある、静かで小さな光を見つけることが、私にとっての新しい心の支えとなっています。
もし今、病気によるストレスの中で、以前のように「楽しい」と感じられなくなっている方がいらっしゃるとしたら、あなたは一人ではありません。そして、それはあなたが弱くなったわけでも、感情を失ってしまったわけでもないと思います。病気という状況が、一時的にあなたの心のセンサーを鈍らせているだけなのかもしれません。
どうか、無理に大きな「喜び」を探そうとしないでください。自分を責めないでください。まずは、呼吸や身体の感覚、周囲の音や匂いといった、もっと小さな感覚に意識を向けてみてください。そして、ほんの少しでも「心地よいな」「安心するな」と感じられる瞬間を、大切に集めてみてください。それは、失われたと思っていた心の彩りを、再び取り戻すための一歩になるかもしれません。
焦る必要はありません。少しずつ、あなたの心の声に耳を傾けながら、あなたにとっての「心地よさ」を見つけていく道のりを、ゆっくりと歩んでいきましょう。